イベントアドバイザーインタビュー ~大会がもたらしたもの~

先日の東大OLK夏場所@二ツ塚峠。灼熱の駐車場にはずぶ濡れの本大会イベントアドバイザー・田中悠さんがいました・・・

遥々長野からかけつけてくださった悠さんに複数の運営者が水をぶっかけ、みんな楽しそうにワイワイしていました・・・

「だって本人が『水でもかけてください』って言ってたからかけないとだよ」という声が聞こえました・・・

某責任者は500mlペットボトルを満杯にして上からドボドボかけました・・・

 

「え、おいおい、お世話になったイベントアドバイザーに水ぶっかけて楽しそうにするなんてどういうことだよ。いや、ん?本人の希望?」

という声があるのかは分かりませんが。

大会責任者の溝端です。もう大会から2カ月近く経ちますね。だんだんとあの日々が遠いものとなっていきます。

さて、今回は大会ブログの最終回ということで、この大会、そして運営者を支えてくださったイベントアドバイザーの田中悠さん(長野県協会/慶應義塾大学2013年度入学)に大会運営の日々や運営代との関わりについてお話していただきました。

大会運営の日々は運営者とイベントアドバイザーに何をもたらしたのか、イベントアドバイザーにとっても「本当に楽しかった」日々はどのようにして生まれたのか。注目の内容たっぷりですので、ぜひゆっくり読んでみてください~。冒頭のお話の意味もきっとわかるはずですよ。

(インタビュー・構成:溝端昭子、画像:木植早生様、第45回東大OLK大会運営委員会)

大会当日から約1カ月経った、札幌OLC大会2日目の夜。名物・ジンギスカンを堪能しながら大会や運営代への思いを語り合った。)

 

EA打診段階・合流時

大会責任者・溝端昭子(以下、大責):今日はわざわざお時間をいただきありがとうございます。どういう感じで話すか難しそうですが早速いきましょうか。

ではまず、EAの打診があった時のことからお聞きします。悠さんには東大OLKの長野県協会メンバーを通してメールアドレスを教えてもらい、EAご依頼のメールをしましたが、打診された時はどのように感じましたか?

イベントアドバイザー・田中悠さん(以下、EA):悪くないかな、という感じ。EAは初めてで自分にとってチャレンジになるので引き受けてもいいという前向きな気持ちだった。東大OLK大会は学生大会の最高峰なので、任せてもらえるならやりたいと。あとは、接点のない学生と一緒にやる面白さもあったかな。

大責:接点のない学生とやる不安はなかったのですか?

EA:これから接点を作っていけばいいので不安はなかった。

大責:なるほど。では、最初にお願いした段階で(旧)足尾勝雲山での開催が決まっていましたが、栃木なので遠いなとは思いましたか?(※悠さんは長野県在住)

EA:遠いなとは思ったけど、遠征とかもしている方なので。選んでもらってたし、断る理由もなかった。

大責:調査にも定例戦にも駒場での事前準備にも自家車で長野から駆けつけてくださって、本当に心強かったです。わざわざ遠いところまでありがとうございました。

さて、2022年9月8日に最初の顔合わせミーティングをやりましたが、調査の経験がないことに関して不安はなかったのでしょうか?

EA:不安がなかったわけではないけれど、おいおい勉強していけばいいと思ってた。「大臣」(東大OLK大会の調査で精鋭たちが任命される、テレイン内の特徴物の基準を統一する役割)とか、固有名詞には興味があったかな。(※ミーティングのときに少し調査の詳細も話した)。あと、ミーティングの雰囲気として溝端始めみんな緊張しているなという感じだった。

大責:確かに、敬語の使い方とか、進行をスムーズにしなきゃとか、なかなか外部の人と深くかかわっていく機会がなかったのでがちがちに緊張していたかもしれません。

EA:逆にこちらの第一印象は?

大責:完全にお客様でした。年齢差はない方ですが(※8歳差)・・・。何でも聞いてくださいとは言われていましたが、実際どうすればいいか、どう頼ればいいかわからなかったところはあります。お互いどうすればいいかわからないところもあったかもしれないですね。

 

運営業務について

その後、主にSlackを通して会場選定や渉外の打ち合わせなどを進めていく。我々学生は授業中にもSlackに入り込む中(※良い子はマネしないでね!)、悠さんは仕事の合間を縫って細かいところまで広く深く見ていただいた。

大責:今大会は会場探しや渉外、バス輸送など決断を迫られる箇所が多かったと思いますが、いちばん決断力が必要だった場面はどこでしたか?

EA:会場、交通手段(※バス輸送)に伴う会計、コースをいちばん見ようと思ってた。その中でも気を遣ったのはバス輸送と参加費かな。

大責:調査の日の夜に長谷部(会計責任者)、河内(運営責任者)と4人で参加費について話し合いましたが、シュミレーションで赤字100万と出てきたときはどうなることかと思いましたね。

EA:あれはヤバかったね。足りないなら参加費をあげるしかない、参加費が高くなるのは仕方ないと思ってた。

大責:大会前からなかなかシビアな現状を突き付けられることも多かった今大会ですが、ストレス溜まったりしなかったですか?

EA:そんなに溜まることはないけれど、Slackの通知が多かった。Slackで運営する以上は仕方ないことだけど。あとは、発行物関係をもう少し日程をうまく進められたらよかったと思う。ただ、自分としてはストレスを感じることはなかったかな。時間を使うから疲れはするけれど。

大責:我々学生は比較的時間がありますが、社会人で運営するってどうなんでしょうか?

EA:人によるけれど、自分は世の中の大変な人に比べたら休みは調整できる方なのでなんとかなる。ただ、直前期は+αで自分のことをやる余裕はあまりなかったね。大きい運営をするということはそういうことだと思ってる。

何回か直接会ったりミーティングしたりしていたのもあってお互い知っていたので、助けてあげたいというのはあったかな。

大責:大変申し訳ないことに夜遅くにM(ミーテイング)をしたり、通知が来ることも多かったと思いますが、問題なかったですか?

EA:許容度が高い方だからダメとは言わなかったけれど、人によっては注意されるかも。

大責:限界体制だったこともあり、本来見るべき人が見るべきところまで手が回らない状況が多かったのは申し訳なかったです。

EA:機能しないところがあると運責大責がカバーすることは割とある。仕方ないことではあるね。

 

調査について

寝袋持参、公民館に泊まり込んで行われるハードな東大OLK大会の調査。もちろんEAも寝袋持参の雑魚寝だ。ただ、今回は42回大会時も足尾町でお世話になった方より一軒家を2件お借りしたので、極寒とはならなかった。

大責:東大OLKの調査が寝袋持参・公民館で宿泊というのは知っていましたか?

EA:もちろん知ってた。東大OLKの調査はきついということで有名。

大責:あ、そうなんですね・・・。では、呼ばれた時に身構えましたか?

EA:そんなに今年はヤバくないと伝えられていたから(※大責が事前に伝えていた)大丈夫だと思っていたけど、EAも調査をするのかという感じだった。

大責:当初は調査をお願いするというより、スタートやフィニッシュ地区を見ていただくという目的でお呼びしていました。

EA:見るべきところは見て、時間があったから調査者にもなったけれど(※北側新規範囲の修正調査)、調査はド素人なので何も分からなかった。あれ大変だよね。

大責:一日中山籠もりするのはなかなか体力的に厳しかったですね。10連泊する強者もいましたし。そういえば悠さんは前回足尾で東大OLK大会が開催された時は参加できておらず、調査で初めて足尾(※現・古峯ヶ原)に入ったかと思いますが、初めて入った時はどう思いましたか?

EA:めっちゃいいテレイン。特に北側(※新規範囲)。最初の方の地図はあまりに違くて「うん?」と思いながら眺めていたけれど。

大責:何回も調査者が入ったことで違和感のないものになっていきましたね。

EA:あと、一番最初(※春調査)の試走はあまりにも辛かった。良いコースだけど・・・

大責:調査期間の試走はなかなか体力的にも厳しかったですね。私は技術が足りず完走できなかったこともあります(笑)。

では、テレインの好きな所はどこでしょうか?私は炭焼き窯です(※各種発行物やブログなどに使われる炭焼き窯の写真は全て筆者が撮影した)

EA:無限コンタリングできるところ。白さはもちろん。あれだけ長いコンタリング要素を含むレッグを作れるのが魅力だね。あとはテレインにいろいろな顔があるところ。

大責:白い、炭焼き窯とかはよく聞くけれど、無限コンタリングは運営代からはなかなか聞かなかったですね(※無限コンタリングって楽しいのだろうか・・・)。

美しすぎるテレインからの風景。筆者が高いピークに登って撮影したが、結構感動した)

 

調査宿での思い出

調査宿はおはようからおやすみまで一緒に過ごす環境であり、学生大会ならではともいえるだろう。特に今回の調査宿(夏調査~大会後泊まで利用)は一軒家ということもあり、調査者はまるで家族同然だった。この泊まりの調査はEAと運営代との関係に新たな変化をもたらした。

大責:なんか「調査宿の雰囲気が悪かったと聞いた」と大会アンケートにありましたね。

EA:内部告発?(笑)  でもそんなに感じなかった。泊まった日は餃子がおいしかった。優太郎(資材責任者)がいつもはこんなに豪華じゃないんですって言っていたけれど。

大責:でもなんだかんだ豪華でしたよ。ガパオライスとかタコライスとかキムチ鍋とか。

EA:食費切り詰めてもいいことないよ。

大責:そうですね。おいしいものを食べられることは調査者のモチベーションになります。では、調査宿で楽しかったことはありますか?

EA:やっぱり夜の他愛もない話が面白かった。前日の調査宿でも特に何をしたというわけでもないけれどわちゃわちゃしていたのが楽しかった。

大責:調査の日は、シビアな予算の話をした後だったので、雑談が楽しくてつい夜24:30くらいまで話してしまいましたね。あれは申し訳なかったです(※夜更かしは大学生の特権らしい)。でも、実際に調査宿でわいわいすることで、運営代である44期に割と溶け込めたのではないでしょうか?

EA:と思ってる。馴染めたとは思う。溶けてはないかも。

大責:染まっちゃダメです。

EA:そこは線を引いてる(笑)。

大責:さすがです(笑)。一方、44期は主張し合う期と言われていますが・・・。

EA:その通りだと思うよ。

大責:(苦笑)。そこの雰囲気は居心地悪くありませんでしたか?

EA:やってるわーと思いながら横で見てたことも多々ある(笑)。

大責:まあ、さすがに悠さんがいらっしゃった日はみんなおとなしかったですね(笑)。EAがいる日でも喧嘩していたらだいぶまずいですが(笑)。

会館担当が皮から作ってくれた餃子で餃子パーティー。)

 

直前期の思い出

直前期にはSlack上だけでなく、部室のある東京大学駒場キャンパスにて資材の確認や封入、印刷などの業務を進める。帰りが遅くなる日もあり、また日々の多忙の蓄積により、運営者の一部は体調崩すこともあった。

大責:事前準備はわざわざ駒場に来ていただきましたね。

EA:地図印刷があまりにも心配だったのと、遠藤(作図責任者)が生きてちゃんと機能しているかなという生存確認が目的。あいつが止まったら印刷止まっちゃうから。案の定朝飯も昼飯も食っていなかったけれど、取り敢えず印刷機動いてるからいいやって(笑)。遠藤はどういう生活しているんだと思ったけれど、そういう子なんだなって思った。

大責:事前準備の3日(土)のときは、悠さんもお昼ごはん食べてないですよね?

EA:なんか食ったんじゃないかな・・・。いや、食ってないかも。

大責:それはまずそう。事前準備が楽しいという話を聞きましたが、どういうところが楽しかったんでしょうか・・・。

EA:普段あんなところしないからね。印刷もそうだし、みんなと話してわいわいやるのが好き。3日(土)は業務だったけれど、4日(日)は駒場で一緒にランチをしたり、プログラムやばいやばいって言ったり。

大責:本当に楽しかったんですかね?(笑)

EA:プログラムやばかったのとかは楽しくはないね(笑)。

大責:シビアな話が続きますが、運営を行う中で結構体調崩す人が多かった印象です。体調崩す人も多いともうちょっとうまくやれたんじゃって思ってしまいます・・・

EA:ちょっと詰めすぎだった感じは確かにあるね。でも、ストレスフリーの大会はないと思うよ。規模が小さければなんとなくで回るけれど、大規模な大会はそれなりにつらいこともある。

 

大会前々日~後泊

運営者で大学の授業のない人は前々日の午後から資材を積み込んだバン3台に分かれて現地入りした。多くの人は授業のため大会当日に帰宅するが、今回は夜遅くまで残らなければならず、後泊に変更した人も多い。中には月曜の始発で大学へ向かった強者もいた。

大責:悠さんは前々日の夜に調査宿がある足尾入りしましたが、前々日は何をしていましたか?

EA:まずはアングル組み立ての品質確認。あとは、印刷の段階でMEの販売用の1ポだけコントロール円がずれるという問題があって全枚数検品した。100何枚。WEも全部見た。あれは大変だった・・・。2時くらいには寝たと思う・・・。

大責:そんなことがあったんですね。別の部屋で景品の整理をしていたので全然気づかなかったです。では、前日はどうだったでしょうか?無限ポ確をしていましたよね。

EA:無限ポ確は今までのポ確のなかでいちばんヤバかった。途中暗くなってきて久保木(競技責任者)とこれやばいねってなってめちゃ走った。暗くなってきたときは、やべえ暗くなってきたよってちょっと楽しかったけど、普通に怖かった(笑)。7時間8時間やっていて、18時は越えていたと思う。

大責:きつそう・・・。でも無限ポ確は久保木も悠さんとのいちばんの思い出と言っていましたね。無限ポ確後の前日夜はどうでしたか?

EA:公式掲示板以外はあんまり記憶がない。明日に差し支えるから早く寝ろって言って、自分は早く寝たね。24:30〜25:00くらいには寝たんじゃないかな。そうしないと持たない。

大責:確かに前日夜の悠さんは早く寝ていた気がしています。その一方、景品の仕分け、資材の整理、スケジュール管理などで2時間、2時間半睡眠の人がいました。私は景品80個を二人で分けないといけなかったのでなかなか厳しかったです・・・。

EA:総じて何とかなってた感じだったと思う。一部の人が寝られないのは学生大会では全然ある気がする。ただ、全体としては起きている人は少なかったよね。

大責:そうですね。別宿(※大会期間の宿は計3つ)で寝ている人もいましたし。では、いろいろあった当日の話にいきましょうか。

EA:一番大変だったのは遭難の件だね・・・。基本、当日運営ではハラハラすることは少ないから、初めてやばいと思った。あれほどやきもきしたことはない。運営者も帰ってこないし。

大責:LINEもトランシーバーもつながらなかったですしね。その一方、熊出没疑惑や遭難のトラブルの時に悠さんが冷静だったという意見がありました。

EA:内心ドキドキしてたよ。そんな冷静そうに見えた?上が焦っちゃうと下が困っちゃうから冷静になろうとしていたのはあったかも。

熊の騒動の時は本部としてはすぐ意思決定されていたので良かったと思う。

大責:本部として対応はもともと決めていたのもありますね。でも、本当にその判断を使うことになるとは、正直現実的に考えられていませんでしたね(※最悪の事態を想定した運営は現実味がなくて難しかった)。

当日楽しかったことはありますか?

EA:久保木がコースを褒められてぴょんぴょんしてたのが面白かった。コースを褒められるのはコース設定者の醍醐味だからね。あとは、参加者からは総じて楽しかったという意見で嬉しかった。あの天気だからどういう顔してみんな帰ってくるだろうとは思っていたけれど、みんないい顔してた。

大責:確かに表彰式とか見ていても充実した表情の参加者が多かった気がします。

 

後泊の天気は快晴。運営者の一部は足尾町にある調査宿に残り、資材の片づけを行った。筆者は8時半ごろに起きて寝坊したと思ったが、人々はまだ静かだった。しかし、2,3人が朝早く起きて資材の整理をしていたという。ありがとう。

大責:そういえば、悠さんはもともと大会後に現地に残る予定はなかったですよね?

EA:この感じから後泊だわと。もともと月曜は休みを取っていたし。

大責:なるほど。あのあと長野まで帰るのはだいぶ厳しいですもんね・・・後泊では当日の天気とは正反対の快晴で、ちょっと悔しさがありました。そういえば、バンの片づけをしているときに悠さんが帰るところでしたが、帰るときにあっさりしすぎていませんでした?(笑) 調査宿で片付けをしていた人からも、「お見送りしようと思ったら帰っちゃってた・・・」と言われていました。

EA:え、あっさりしすぎてた?(笑) でも、みんな朝ばらばらだったし、また会うし。打ち上げもあるし。

大責:それは確かにありますね。調査宿を離れるときは名残惜しくなかったですか?

EA:名残惜しいけれど帰らないわけにはいかないじゃん(※それはそうですけど・・・)。みんな片付けに勤しんでいたし。面と向かって褒めるのは苦手なので・・・

大責:打ち上げのときにみんなをもっと褒めてあげてください(笑)。

 

運営代との関わり

イベントアドバイザーと大学生の運営者。大会の成功と、運営者が楽しめるようにするには、何でも相談し合いながら運営を進められる環境が不可欠である。始めは戸惑いのあった両者だが、いかにして関係を構築していったのか。

EA:EAの割には結構口出しするタイプだったと思うけど、その辺は問題なかった?やりすぎがよくないというのはわかっていたけれど、細かいところはあったほうがよかったのかとか、運営代から見た意見が気になる。

大責:全然気にしなかったです。むしろ、ありがたいなと思っていました。結果的に細かいアドバイスはありがたかったけれど、EA側にこちらからどのくらいアドバイスが欲しいとかはお願いするものではないと思います。どのくらいの裁量で関わるかはお任せしますという感じでした。悠さんは運営代に神EAって呼ばれていましたね。我々からもっとこうしてほしかったというのはないです。

EA:そうなんだ(笑)。では、やってくれて嬉しかったことはある?

大責:直接お話できたことです。私は悠さんにEAをお願いするとき、悠さんにとっても今大会が思い出に残る大会にしてほしいと思っていたので、雑談とかも含めてたくさん関われたことが嬉しかったです。運営業務上の話だけでなく、雑談したりわいわい話して距離を縮めることで相談しやすい関係づくりに繋がればと思っていました。昔の東大OLK大会も、EAが調査宿に泊まったりはしていたみたいです。

EA:昔からEAとは密なコミュニケーションを取るという伝統なのかもね。現地に行って話す機会が多かったのは確かによかった。

大責:運営者が楽しい大会は参加者も楽しいと思うので、そういう雰囲気を作りたかったです。これはEAと運営者問わずだと思いますが、業務上の付き合いじゃなくて人と人との関わりを重視しようと思っていました。

EA:それは大きかったね。自分も関わった人はなるべく一人一人のことを見ようと思っている。個性もなんとなくはわかる。

大責:でも、なんで楽しかったんだろう?ここまでの感じだとシビアな話が多いですよね。

EA:少なくともマイナスのイメージは持ってない。大会をやるうえで必要な仕事はある程度仕事として割り切って考える面もあるけど、このメンバーでやること自体が楽しかったんじゃないかな。仕事は辛い面もあったけれど、みんなで一緒にやることは楽しかった。そういう人は多いんじゃない?

  (2013年度入学の悠さんが高校生の頃はガラケーだったという話にはみんなびっくり)

 

大会が終わった今

大責:では、最後に運営代の44期にメッセージをお願いします。

EA:まずはお疲れ様でした。面と向かって労いの言葉をかけたりはしなかったけれど、関わったみんなと辛かったことも楽しかった思い出も一緒に共有できたし、44期の一員みたいな感じに受け入れてくれて嬉しかった。これで終わりだとは思っていないし、悲しい言葉は言わないけれど。

本当に楽しかったです。

 

大責:今はどういう気持ちですか?

EA:解放感はあるっちゃある。当日終わった時は「やっと終わったな」という気持ちはあった。終わって寂しいなという気持ちもあったけどね。

 

<あとがき>

冒頭の出来事がいかにして可能となったのか、お分かりいただけたでしょうか。

もちろん悠さんの人柄も大きな要因ですが、大会運営のあった日々は大会が終わっても切れない関係を残しました。まさかお世話になったイベントアドバイザーに水をぶっかける日が来るとは大会直後も微塵も思っていませんでしたが、大会後に皆であの日々を振り返っていく中で、楽しいことも辛いことも乗り越えた固い関係が作られたのだと感じました。

一方で、大会がもたらしたものは決して楽しい物だけではありませんでした。

しかし、何かに一生懸命になること、困難にみんなで頭を悩ませること、辛いことも悔しいことも分かち合うこと、その一つ一つが、大会のあった日々を濃いものにしていたのだと思います。

      (想像以上にずぶ濡れで、でも想像以上に喜んでいただけたようだった。)

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